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変性意識(催眠)を用いない脱力トレーニング

変性意識(催眠)を用いた能力開発法には、

  • ポジティブ(前向き)になる
  • 行動力が身に着く(怖いもの知らずになる)
  • 心が安らぐ(不安の払拭)
  • 潜在能力の開花(記憶力UPや直感力UP、思考が冴える)

など、とても魅力的なメリットがあります。

 

ですので、自己啓発系のセミナーなどでは、意図的に変性意識(催眠)の技法を取り入れられている所が多いのでしょう。

 

また、自己啓発系のセミナーの講師の人は、例外なく魅力的な人が多い。

 

この魅力は、自らで変性意識に入り、ポジティブになるようなプラスの自己暗示をかけることで作られています。

 

人は、魅力があって、ポジティブで行動力があり、高い能力を兼ね備えていて、さらに安心感がある人を好む傾向があるので、

  • この人の話を聞きたい
  • この人のようになりたい
  • この人のように自由に生きたい

と思い、おのずと人が集まります。

 

ただ、そこに投資?することで、稼げるようになると思うからなのか、セミナーの料金がバカ高い。

 

そうして、人と共にお金が集まる。

 

これが自己啓発系のワークのからくりです。

 

しかし、ネガティブな人がポジティブな思考に変えることは容易なことではありません。

 

なぜ可かと言いますとならば、ネガティブな人は、誰かに心の隙間を埋めてもらいたいという心理が働くからです。

 

基本的に依存心の強い人は、人に依存するがゆえに物事をポジティブにとらえることが出来ません。

 

不可能を可能にするのが、変性意識状態であり、催眠の技法なのです。

 

変性意識状態(催眠)に入りやすい人の大きな特徴として、依存心が強い人だと言われています。

 

依存心が強いがゆえに、変性意識状態(催眠)に入りやすいのでしょう。

 

変性意識状態に入ると暗示にかかりやすくなり、講師にプラスの暗示をかけられることで情緒不安定な精神状態を興奮させることで不安を取り除き、ポジティブな気持ちに誘導されます。

 

また、ネガティブで心の隙間を埋めてもらいたいと思う時、人は被暗示性が強くなる。

 

被暗示性とは、暗示にかかりやすくなる(マインドコントロールを受けやすい)状態のことです。

 

20数年前にテロを起こした新興宗教団体の信者の幹部は、高学歴の人間で固められていました。

 

教祖は、ボサボサ頭で髭面のしまりのなさそうな男でした。

 

その当時「なんで、このような胡散臭そうな人間に、高学歴の人が教祖とあがめるのだろう?」と思っていました。

 

今に考えると、高学歴の人間は意外に被暗示性が強くマインドコントロールにかかりやすい傾向があるからだと理解できます。

 

なぜ、高学歴の人ほど被暗示性が強いのか?

 

高学歴の人は例外になく頭が良く記憶力に優れています。

 

理由はわかりませんが、変性意識状態に入ると記憶力が上がることが知られています。

 

なので、記憶力に優れた人は変性意識状態に入りやすくマインドコントロールを受けやすい傾向にあるのかもしれません。

 

そういえば、自己啓発系のセミナーもどちらかと言えば、高学歴の人の方がはまっているような気がします。

 

しかし、変性意識には大きなデメリットがあります。

 

ですが、ほとんど知られていません。

 

そのため、安易に取り入れられているがちです。

 

変性意識状態(催眠)で何かを行おうとすると、体の歪み(ひずみ)みを起こしやすくなりそのことで心身に悪影響を及ぼします。

 

なぜかと言いますと、変性意識状態では、体性感覚が弱くなるからです。

 

そのため、体に無理が効いてしまい、不自然な動きや身体の限界を超えて動き続けてしまうと体の歪みが強くなり、体に何かしらの悪影響が及ぼされます。

 

このことによって身体が疲弊し、心にも悪影響が及ぼされてしまいます。

 

心の問題の多くは身体(脳・神経・筋肉・内臓)の疲労が原因となることが多いためです。

 

身体の疲労(内臓の働きが弱くなる)によって、不安や恐怖、怒りなど負の感情に囚われ、自律神経失調症や精神疾患(統合失調症など)を患ってしまう人もいます。

 

その理由とは?

快楽に溺れさせる体の歪み

宗教もそうですが、自己啓発を受けたいと思う時、必ず、なにかにつまずいたり、行き詰まったりする時だと思います。

 

このような時、今の自分に限界を感じて「自分を変えたい」と思った時、自己啓発のセミナーと出会うのでしょう。

 

そして、頭のいい人は勉強がとてもできるためなのか、人生の行き詰まりも学習(教えてもらう、調べる、覚える、実践する)することで解決しようと考えてしまいがちなのかもしれません。

 

元々、このような素養のある人が、自己啓発の変性意識状態に入る手法を勉強して実践することでプラスの暗示をかけることができるようになれば、ポジティブな思考を手に入れることができ、不安などの負の感情を払拭することができるようになります。

 

そうして自身の問題を解決されれば、結果として自身が癒されたように感じるのでしょう。

 

ですが、実際には、心は癒されたように感じていても体は緊張し続けているのです。

 

心は癒されているように感じていても体は緊張していると言ってもピンと来ないかもしれません。

 

心と体は相通じているはずだから、心が癒されているのならば体も癒されているはずなのですが、変性意識状態で暗示をかけられると身体の感覚が弱くなるために筋肉の緊張を感じにくくなります。

 

ですが、脳に過剰のストレスがかかり筋肉に信号を送り続けています。

 

筋肉が緊張が強いと心は「心地よく」感じませんが、緊張した身体感覚が麻痺してしまったら興奮した状態を「心地よい」と脳が勘違いしてしまいます。

 

これは「心地よい」のではなく「快楽」です。

 

本当は「心地よさ」の気持ち良さと「快楽」の気持ちよさとは違います。

 

これが変性意識状態になると「快楽=心地よい」と勘違いをしてしまいます。

 

これが、変性意識状態によって得られる「心の安らぐ」感じなのです。

 

人は、ネガティブな時、不安や恐怖という感情に支配されます。

 

それに対してポジティブな時は快楽(快感)という感情に支配されます。

 

筋肉は、不安に感じたり恐怖に慄く時強く緊張します。

 

そして、快楽を覚える時も筋肉は強く緊張します。

 

ただ、快楽を覚える時には不安や恐怖を感じる時よりも筋肉の緊張を強く感じません。

 

身体感覚が正常に働いていれば快感を覚えている時に体が震えて緊張していることを感じる(認識)ことができます。

 

ですが、変性意識状態(催眠)に陥っている時には筋肉の緊張を強く感じないので、不安や恐怖という感情をプラスの暗示によって快楽に転換させやすくなります。

 

なぜかと言いますと、不安や恐怖も快楽も筋肉自体の反応は同じだからです。

 

筋肉の反応は同じでも、起こる感情が異なるのは、脳内から分泌されるホルモンが違うためです。

 

不安や恐怖を感じる時、ノルアドレナリンが多く分泌されます。

 

それに対して、快楽を覚える時はドーパミンというホルモンが多く分泌されます。

 

どちらも脳が興奮することによって多く分泌されます。

 

ネガティブな思考によってノルアドレナリンが多く分泌されていたところをプラスの暗示によってポジティブに転換することでドーパミンが多く分泌されるようになります。

 

このことで、不安や恐怖といった感情が快楽や快感という感情にすり替わり、不安や恐怖といった負の感情から逃れることができます。

 

不安や恐怖といった負の感情が感じないことが「心の安らぎ」を得たという勘違いを引き起こします。

 

これは、負の感情を感じることによる強いストレスから解放されただけにすぎません。

 

ですが、ここで転換された負の感情は完全に転換されたのか?

 

おそらく、NOでしょう。

 

負の感情は、生命の危機を知られるシグナルなので、とても強力です。

 

なので、そのシグナルの原因が解決されない限り消えることはありません。

 

ですが、ネガティブな感情をプラスの暗示によってポジティブになり行動をすることで問題解決するできれば、負の感情の原因も解決できる可能性はあります。

 

自己啓発のセミナーを受けて成功している人は、このようなことを実践しているのでしょう。

 

ただ、忘れていけないことがあります。

 

それは、変性意識(催眠)によって体を歪み(ひずみ)を強くして、心と体に悪影響を及ぼす恐れがあるということです。

 

変性意識状態に入ってプラスの暗示を行うことでネガティブな感情を感じるための身体の感覚意識を認識できなくなります。

 

その状態が続くと、身体の歪みを改善する自然修復システムが稼働できません。

 

そのまま放置すると、体の歪みが強くなり、体に悪影響をおよぼすか、精神に悪影響を及ぼす恐れも考えられます。

 

脱力クリエイトでは、体を芯から癒すことで心を癒すことを提唱しております。

顕在意識を用いて能力を高める脱力トレーニング

脱力トレーニングは身体の調整法であると同時に、身体の機能を高めるための能力開発法でもあります。

 

ですが、変性意識(催眠)を利用した能力開発を行いません。

 

なぜならば、精神疾患(統合失調症)や自律神経失調などに陥る危険性が強いからです。

 

能力開発を目指すワークショップの多くが変性意識を利用しているのか?

 

それは、変性意識状態に入ると無意識(潜在意識)の領域の能力が引き出されると言われているからです。

 

普段、意識(顕在意識)が邪魔をすることによって潜在意識にある能力が引き出すことができないと言われ、意図的に催眠に入ることで潜在意識にアプローチすることによって眠っている潜在能力が引き出されやすくなり、普通の人ではできないような超常的な能力を発揮できるようになると言われています。

 

宗教の修行の一環として行われてきた伝統的な瞑想法や呼吸法なども変性意識状態に入ることを目的しているように考えられます。

 

このような修行を行うことで、超常的能力を手に入れた人もいるそうです。

 

変性意識状態に入る能力開発法のルーツは宗教の修行法にあるのでしょう。

 

ですが、その反面、禅病や偏差、クンダリーニ症候群など現代医学的に言えば、統合失調症や自律神経失調症を患う人もいたとのことです。

 

なので、瞑想や呼吸法などは経験のある指導者のもとで行うように言われています。

 

それでも決して安全な訳ではなく、ひどいケースでは廃人になる人もいたとも言われています。

 

なぜ、このようなリスクを犯してまで変性意識状態に入ろうとするのか?

 

おそらく、「天と地とのつながりをもつため」なのかもしれませえん。

 

変性意識の中から天と地と自身をつなぐものを見出すために危険を犯して変性意識状態に入る。

 

そうした中で、天と地と自身と一体感を得られる境地を宗教では悟りを開くとか覚醒とか言われるのでしょうか?

 

悟りや覚醒は特別なものと考えられ、非日常的な変性意識の中に悟りや覚醒があると考えたのかもしれません。

 

なので、 変性意識に入り、悟りの境地を探し当てるための修行をしたのでしょう。

 

別な解釈で言えば、変性意識状態とは「我を忘れた」状態で、自身の身体感覚が麻痺することでもあります。

 

もしかしたら、宗教の修行とは意図的に変性意識の中に入り「我を忘れる」ことで、変性意識を否定して「我を見出す」ための試みなのかもしれません。

 

ですが、それは、宗教という特定の目的の元で行われてきたことであり、現実的な方法ではないと考えてられます。

 

自身と天地とのつながりは特殊な感覚ではなく、日常的な意識(顕在意識)によって感じることができるものです。

 

なので、危険を犯してまで変性意識状態に入る必要などないのです。

 

なぜかと言えば、天地とつながっている状態が「当たり前」だからです。

 

天地とつながっているから我々は生きていけるのですから。

 

そして、自身の身体そのものが、天と地(自然)より得られた産物なのですから。

 

また、「我を忘れる」ことは、天地とのつながりを忘れることでもあります。

 

我を感じる(身体感覚)状態こそが、天地のつながりを感じることでもあるのです。

 

当たり前の状態に感覚が向けられることが「気づき」だと考えます。

 

これは、日常的な意識(顕在意識)の領域を広げることで、脳の機能が高められ、心身の機能が高められることで得られるものです。

 

ですが、人は日常生活を生きていると自身の身体の外のことに意識が奪われてしまい、「我を忘れて」しまいます。

 

我を忘れると心が対象となるものに動くので、身体の感覚意識が消失してしまいます。

 

人の行う行動のすべては、必ず、人の身体を介して行われます。

 

なので、身体の感覚意識が消失してしまったら、対象とするものと自分の身体のとの関係性が築けないため自分の能力をフルにできなくなります。

 

そうなってしまうと、顕在意識の領域が狭くなり脳の機能が低下してしまい、ミスを犯してしまいやすくなります。

 

そこで大田式調整動作では、身体感覚を取り戻して「我を感じる」ことが必要だと考えています。

 

このことを実行するために「身体のバランスを整えること」です。

 

その理由は、身体のバランスを整えることで骨で体を支えられるようになり、筋肉に余計な力がかからなくなるからです。

 

このことで、筋肉をコントロールする脳の出力が少なくなり、感覚情報を入力する余裕が生まれ、脳の情報処理能力が格段に高まり、普段は潜在意識の内にある能力に気づく(顕在意識の領域が広くなる)ようになります。

 

既存にある能力開発が「潜在意識を引き出す」ことだとすれば、

 

脱力トレーニングは「顕在意識の領域を広げる」ことです。

 

このことで、身体や精神に負担をかけることなく潜在能力を活用できるようになります。

 

これが、脱力クリエイトの提唱する能力開発法「脱力トレーニング」なのです。