· 

身体は自然の一部

「自然を守ろう」とか「自然と共存しよう」などと言われます。


耳触りの良い言葉ですが、私は、それらのフレーズに違和感を覚えます。

 

環境問題が深刻化しています昨今、その問題に真摯に向き合う必要があるのは確かです。

 

ですが、「自然を守ろう」とか、「自然と共存」などと言いますと、人と自然とはまったく別世界のものと思っているのではないでしょうか?

 

西洋科学の影響からなのでしょう。

 

自分自身の身体も「自然の産物」であることを忘れさられています。

 

東洋思想では、人の中にも神が存在すると言われていますが、自然界の現象を神だとするならば、人の中にも神が存在してもおかしくありません。

 

なぜならば、人間も自然の一部だからです。

 

自然界で作られたものを天然物、人が作り上げたものは人工物と区別されますが、拡大解釈をすれば人の作り上げたものも天然物です。

 

人間によって行われている環境破壊も自然現象の一つなのです。

 

だからといって、「環境問題をこのまましていていいのか?」と問われますと、もちろんこのままでは大変なことになります。

 

文明の発展によって、人は多くの恩恵をもたらされました。

 

その代償として自然環境を犠牲にしました。

 

公害などによって、私たちの生活環境も破壊されたことが事実としてあります。

 

原因不明の難病が増えてきていることも、生活環境の破壊が深く関係しているのではと思うのです。

 

私は、以前、指圧の仕事をしていましたが、その前は、環境の化学分析を行う仕事に就いていました。

 

なので、環境の問題については深く考えていました。

 

その当時、ライフワークの中で呼吸法を行っていて、「自分の体も自然なんだ」と感じていました。

 

そのような思いから、人の体に興味を持つようになって、薬を使わずに治す方法があることを知り、指圧の学校に入り指圧の勉強をすることになったのです。

 

指圧の学校を卒業した後、病院でリハビリの仕事を行うことになりました。

 

そこで、薬を使った治療を目にすることになりました。

 

薬害については、SNSやブログでもよく目にしますが、病院という所は本当に薬をよく使います。

 

そして、使われる薬の多くは症状を抑える薬が大半を占めます。

 

もちろん、薬で症状を抑えた方がベターな場合も多いですが、症状を抑える薬を長期的に使用することは、体にとっては逆にリスクを伴います。

 

なぜならば、薬は毒物だからです。

 

毒物だから、医師や薬剤師といった資格を持った人が扱うのです。

 

それは、漢方薬も例外ではありません。

 

漢方薬には副作用がないと誤解されている感が強いですが、薬が体質と合わなければ副作用が起こります。

 

なので、西洋薬も漢方薬も安易な考えで飲む物ではありません。

 

そこで、人に薬を使うことと、人が自然環境に行っていることに共通点があることに気が付いたのです。

 

例えば、風邪をひいたら風邪薬を飲むように、川が氾濫するからコンクリートで囲んで川が氾濫するのを防いだり、ダムを作ったりします。

 

川が氾濫するのは、山の木々を切り倒したために山の水を蓄える能力が低下することが原因です。

 

また、川が氾濫することによって、山から栄養分の富んだ土が運ばれることで作物が良く育つといったメリットがあります。

 

川の氾濫にしても、大きな氾濫が起こるのには原因があるからです。

 

昔に比べて作物の栄養価が下がっているという話があり化学肥料を使って育てるからだと言われていますが、原因はそれだけではなさそうです。

 

河川を整備することで、山からの栄養分が平地に運ばれなくなり土地がやせて作物が育ちにくくなったことが大きな要因になっていると考えられます。

 

そして、河川の整備によって、山の石が流れなくなり、そのことが原因で砂浜がなくなっています。

 

人々が快適に過ごすために周りの環境を変えてしまうことで、逆に生きづらい環境を作りだしています。

 

人の体も同じで、風邪薬で症状を抑えることで不快な状態は緩和されますが、症状を抑えるがために、なかなか良くならず長引かせてしまいます。

 

風邪をひくのは体の冷えや疲労によって体の免疫力が低下したことが原因です。

 

また、風邪をひくことで免疫力が上がり疲労した組織が回復するメリットがあります。

 

痛みや症状が起こるのは、なんらかしらの原因があるからです。

 

原因があるから結果がある。

 

それが因果応報であり、因縁なのです。

 

ただ、昔のような生活に戻すことができるのか?ということになると思います。

身体という自然

人々が快適に過ごすために周りの環境を変えてしまうことで、逆に生きづらい環境を作りだしています。

 

ですが、そうかといって昔のような生活に戻ることができるのか?という問題もあります。

 

快適な生活の恩恵を受けている昨今、昔の生活に戻すことは現実的ではありません。

 

川や地下水は汚染され、見た目は綺麗そうな水でも何が含まれているか分かりません。

 

どうしても、水道局で処理してもらわなければいけないような環境にあります。

 

塩素による弊害もありますが、同時に塩素消毒によって感染症などで命を落とす人が少なくなったという恩恵もあります。

 

食品添加物も問題になっていますが、添加物のおかげで細菌感染の危険性が少なくなって命を落とす人が少なくなってきたという点も見逃せません。

 

もちろん、塩素も添加物も取らないに越したことはありませんが、現段階では難しいように思います。

 

ですが、環境にも配慮しながら快適な生活を送ることは、技術の発展によって可能になると思うのです。

 

自然環境が悪化することで自分たちの生活もしづらくなります。

 

なぜならば、人も自然の一部で、地球や宇宙のサイクルを形成しているものの一部だからです。

 

そのことは、昭和30~40年代に公害が問題となったことで知られています。

 

20世紀は、自分たちの身の回りを快適にするために手間と時間とお金を費やしたと思います。

 

ですが、21世紀は自然の恩恵と文明の恩恵とを融合することに手間と時間とお金を費やしていく世の中になればと思っております。

 

そのためには、自身の体と自然に目を向ける必要があるように感じます。

 

身体という一番身近にある自然に目を向けられずに、自然環境を語る資格はないと思うのです。

 

なぜならば、身体は自然の一部ですあり、分離して考えられないからです。

 

分離して考えてしまうから多くの矛盾に苦しめられるのです。

 

それは、自分自身の存在を否定してしまうことになるからです。

 

精神的な病気が増えてきている根本的要因は、自己否定があります。

 

自己を受け入れて肯定することができれば精神的に安定してきます。

 

自己の肯定と問題解決は相反するもののように解釈されますが、自己の肯定なしに諸問題の解決はできません。

 

今ある文明の利器は活用しつつ、古来の利器を見直す姿勢で物事を行っていけば、自然環境の問題も解決していけると考えます。

 

人には、可能性が秘められています。

 

ただ、文明の利器に振り回されて、自己を見失い、自身の可能性に目を向けられていないことが、環境問題の背景にあるように思います。

 

現状を打開するためには、自身を見つめなおし、自身の可能性に希望が持つこと。

 

そのためには、自分自身の身体に目を向けること!

 

ただ、身体を使う機会が減っている現代社会においては、その力を引き出す機会が少なくなってきています。

 

そのため、希望が持てずに、暗い闇の中をさまよってしまう人が増えているように思うのです。

 

身体に希望を見出すためには、身体に目を向け、そして身体を動かすことです。

 

そのツールの一つとして、脱力クリエイトでは脱力トレーニングを行っております。

 

身体の動きに意識を向けることで身体を体感し、自分自身という一番身近な自然に目を向けることができます。

 

そのことで、体の中と外の環境のギャップがなくなり、自分に自信が持て、それが生きる希望へと変わります。

 

身体は自然の一部

 

そのことを頭だけでなく、頭を含めた身体全体で感じることが環境の問題を解決するために必要だと思うのです。